戦争の爪痕 2 ― 2012年09月30日
キリバスには、そこかしこに集会所があります。そんなにたくさんあって何を
しているのかというと、パーティーから宗教行事、マダムの娯楽ビンゴ大会ま
で、様々に用途に利用されています。 えっ? 壁はあるのかって? 写真を見てみてください。
やっぱりないんです。 さながら、巨大な東屋ですね。 この集会所のことを、キリバスでは「マニアバ」といいます。 実は、日本からの援助で建てられた、「ニッポンマニアバ」なるものもあります。 だいぶ前ですが、このマニアバの40周年記念式典に招待され、参加してきました。
行ってみると、"超"がつくほどの長老達がズラリ。 このマニアバがある地は、戦時中、日本が植民地化していた場所。だから主催
者は、当時日本と関わりがあった人たち。つまり、70歳を優に超える人たちな
ワケです。平均寿命50歳前後のこの国で、70歳といったら、とてつもない快挙
です。 式典は、キリバスでのお決まり通り、以下のように進んでいきました。 エラい人のスピーチ → ダンス → 食事 → 食事中のダンス → 歌
歌の最中、おばあさんが前に出てくると、一言。「これから日本の歌を歌います。」 なんと歌ったのは、君が代。しかも、しっかりとした日本語とメロディーで。
これには、さすがに私もびっくりしてしまいました。びっくりしすぎて、写真
を撮るのを忘れてしまったほどです。
きっと当時、学校かどこかで歌わされたのでしょうね。 この歌を歌っているとき、おばあさん、一体どんな気持ちだったのでしょう。 戦後67年を経てもなお、人々の心の中には戦争の傷跡がしっかりと残っている。
それを、まざまざと見せつけられた気がしました。
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